ルーラの哲学

感情のゴミ箱。メモ書き。

交際相手への束縛行為はエゴと所有欲の産物である

 

 

 

男女が付き合う時ってほとんどのカップルが約束事決めますよね。

 

その内容はカップルによって様々だと思いますが、必ずといって良いほどどのカップルでも真剣に話し合われるのが、

 

「浮気のラインてどこから?異性との交友関係はどこまでがセーフ?」

 

って議論。

 

 

 

 

 

遊ぶメンバーに異性がいたらアウトだったり、異性の友だちと2人での旅行でもセーフと幅は広いですが、

僕の周りのカップルや聞いた話、相談された内容などを平均すると、「2人きりで飲みに行ったら、2人きりで遊んだら」ってところがボーダーとして多いような気がします。

 

 

 

 

 

 

ここでふと浮かんだのが、

 

なぜ人は交際相手の行動を制限するのだろうか

 

という疑問です。

 

 

 

 

 

ここからは完全に僕の論考なのですが、

信用できていない人間に対して抱いてる感情を果たして本当に「好き」と表現していいのでしょうか。

 

 

好きだから束縛する、好きだから自分だけの彼、彼女にしたいという意見もたまに聞きますが、それって自分側のエゴだし、愛でもなんでもないただの所有欲ですよね。

 

 

交際相手に、異性と飲みに行かないでとか旅行はダメとか、相手を信用できていない時点で本当にその人のこと好きなの?って思ってしまいます。

 

 

僕は、信用できないのに好きってよく分からない。

 

 

それは即ち、相手への依存や寂しさの埋め合わせ、またはリビドーの解消のために、それらを無意識に「好き」という感情に変換し自己正当化しているということではないだろうか。

 

また、フィクション(コミックス、ドラマ、映画etc.)への憧れが、リアルの恋愛との混同を引き起こしているように感じる。
もちろん例外はあるしカップルによって様々な形はあるだろうが、現代におけるカップルの大半はこれに該当するのではないだろうか。

 

 

 

 

 

若い世代(そして一部の大人たちも)の恋愛はホルモンの乱れであり、ある異性に抱くその特別な感情はリビドーが作り出した虚構である。